木之本 一から九
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木之本の


糸目、糸筋、光沢、三つ揃った糸
三つとせー。木之本の”三”といえば、三味線や琴の糸。ここから連想を続けると、一人の語り部にたどりつく。

 三味線・琴糸→水上勉の「湖の琴」→余呉湖→さくと宇吉→糸取りの女工さん→西山・大音の集落
 というわけで、賎ケ岳の麓の「想古亭げんない」を訪ねた。

●「そもそも養蚕がはじまったのは、白鳥伝説に由来するんですな」
 「白鳥伝説っていうのがありましてね、余呉湖では、羽衣伝説と言うてますけど。伊香刀美という男が、天女の羽衣を隠して空に帰れなくし、自分の嫁さんにするんですな」
 こういう類の羽衣伝説は全国にいくつもある。朝鮮半島からの文化が入ってきたころの話だ。天女は大陸からの渡来人で、日本人には、きらびやかな衣装が羽衣のように見えたのかもしれない。
 想古亭げんないのすぐ隣に、伊香具神社がある。伊香具式鳥居という複合型の鳥居を構え、式内社のなかでも社格の高い名神大社だという。かってはこのすぐ近くまで入り江になっていたらしい。
「この伊香具神社が、白鳥伝説の発祥の地。「近江風土記」にも残っている話なんですよ」
 羽衣を隠された天女は伊香刀美の妻となり、子供をもうけるが、やがて羽衣を見つけると天に帰ってしまう。残された子供が、この地の始祖となったというらしい。
「というのは前置きでして、ここからが糸取りの話なんですわ」
 伊香具神社の祭神・伊香津命の子孫である伊香厚行が、湧き出る水を使えば光沢のある生糸が取れることに気づき、村人に伝えたという。
 その糸で冠の紐や刀の下緒をつくり、宮中へ献上していたが、弾力性を生かし琴糸や三味線糸に使われるようになったのだそうだ。

●「何よりも賎ケ岳の水が糸取りに向いているということですな」
 大音や隣の西山では、色も肌触りも一流の糸がとれ、それで作られた楽器糸は、名だたる奏者からの折り紙付きだ。それは、何よりも、賎ケ岳からの水が、製糸にふさわしい質を備えているからだろう。
「昔、ある娘さんが西山から他の村へ嫁いだんですな。糸取りの上手な嫁さんが来たと言われて、一生懸命糸取りをしたんやけど、ちっとも高う売れん。嫁ぎ先でイビられた娘さんが、こっそりと汲んで来た西山の水を使うたらええ糸が取れたと、そういう話も残ってるんですわ」
 全盛期の昭和30年代には、200人を数える女工さんがいたという。
「若狭や越前、余呉など、雪国から来た女性がほとんどでしたね。まあ、口減らしでもあったんでしょうな。畑仕事や家事なども手伝い、1日15時間ほど働いてたんでしょう。
 女工さんが寝泊まりする部屋があってね、若い男たちも寄ってきたようですなぁ」
 糸取りの季節になると、女性たちは、炭火がもったいないと、一日中、糸取り機のそばを離れることなく手を動かし続けた。その間男性たちは、家事をこなしながら、糸枠を運んだり、量を計ったり、交渉事を進めたりしたのだった。
 毎年6月ごろになると、新聞紙上に糸取りの記事が載る。
 賎ケ岳の水を鍋に沸かし、繭を入れる。小さなホウキで繭をササッとなでて糸口を探り出す。この細い糸を10本ほど手繰り,捻り合せると1本の楽器糸の原糸になるのだ。
 大音生まれの佃三代子さん(70歳)は、50年以上糸を取りつづけてきた。「始めたのは、17歳の頃、初めは母親の手元を見ながら覚えていったんです。手足を動かし通しの辛抱仕事やでな、もう体中が痛うて、しんどいですわ。楽しいと思ったころもあったけどな」
 毎日取りつづけて、3年でやっと一人前になれるという仕事。三代子さんが、楽しく感じられるようになったのは、10年以上たってからのことだったという。
 紡ぎ手が高年齢化してきた糸取りが、文部省の選定保存技術に認定されたのは8年前、後継者を育てる研修所になった佃さん方には、地元の若嫁さんら6人が糸取りを習いに通っている。「6人とも真剣に取り組んでいてくれるから、これからも少しずつでも続いていくと思ってます。まだ今は、練習の段階ですけどね」

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